自宅の金木犀が満開。
2020年10月16日 金曜日 (曇)
ひと月が経つのがなんと早い事か。ついこの前、おばあちゃんの月1回の定期診察日の順番取りに行った様な気がしたが、今日もその順番取りだった。先日、おばあちゃんの体調が急変したのだが、今は頗る元気で診察結果も順調だった。しかし、これから寒くなるので気を付けなくてはと思っている。
午後から里山歩きにでもと思ったのだが、なんとなく気が乗らず自宅で過ごす。トイレの小窓から外を覗くと金木犀の黄色い花が咲いていた。 我家の金木犀は鉢植えなので小さないのだが、毎年この時期になると花を咲かせてくれる。金木犀の香りがとても良かった。
《漢字の学習》
●学習教材:『脳トレ!漢字ドリル366日』篠原菊紀 監修
《記憶35日目》
⦅問題⦆孔子『論語』による名称としてあてはまるものを選びましょう。
15歳。勉強をしましょう。
30歳。やっと自分で立てる。
40歳。やっと迷いがなくなる。
50歳。自分の天命を知る。
60歳。人の言葉を素直に聞けるようになる。
6)70歳。人の道からはずれなくなる。
(不惑、耳順、志学、従心、而立、知命)
⦅答え⦆
1)志学 2)而立 3)不惑 4)知命 5)耳順 6)従心
《ことわざ慣用句の学習》
【慣用句辞典】
●鬼の首を取ったよう
●鬼の目にも涙
●お鉢が回る
●お払い箱になる
●お百度を踏む
《日本名言名句の辞典》小学館
4、反省
4)地震にこりることを知らない魂は、戦争にもこりることを知らないのである。
*坂口安吾『ヤミ論語』(昭和二十三年)
●「こりないこと」は罪悪であるとも言う。
5)或る性格にとっては自己研鑽が享楽である事がある。
*佐藤春夫『都会の憂鬱』(大正十ニ年)
●主人公尾沢峯雄の自省の言葉であるが、文芸批評家としても著名な佐藤春夫のエッセンスを示した言葉。「自己研鑽」は、自分をきびしく責めること。
6)余所に恥る事なく、心に心を恥て、誠あることを知れ。
*鈴木正三『盲安杖』(元和六年・1620)
「余所」は、他人。「心に心を恥づ」は、自分の心をよくみて、自分の心で恥ずかしく思う、の意。
《今日の小さな歓び》
知人と山談義。
以上
by tinnan1515 | 2020-10-16 17:30 | 思いのままに綴る日記 | Comments(0)